【フットサル文化の定着と確立にむけて】

●総合型地域スポーツクラブ設立に向けて3(2002/5/7)

 中学時代、僕はゴールキーパーでした。1年の夏前ぐらいに、あらかじめ周囲によって仕組まれた部活内での「キーパーセレクション」によって僕は3年間ゴールキーパーとしてサッカーをすることとなります。少年時代、ただ前方へボールを蹴ることしかしなかったサッカーに面白みを感じなかった僕は、「若林君(キャプテン翼)」に少しの憧れを持ち始め仕組まれていることをもちろん感じていながらもゴールキーパーへの転向を受け入れました。

 しかし、中学時代の3年間も小学生時代と対して変わるものではありませんでした。キーパー練習といえばゴール横からのボールをみんながシュートしてくるというもの。たまにスローインとキャッチングの練習をしたかもしれませんが、とても練習していたとはいえないものでした。

 試合でも勝ってるときはボールは来ないし、逆に強い相手にはゴール前まで攻め込まれ止めるも何もあったものではありませんでした。結局3年間が終わるころにはこのさきゴールキーパーでサッカーをしていくことを考えはしませんでした。

 当時3年生の部活を引退した後、よく社会人のおじさんたちや日系人の人たちとサッカーをすることがありました。その時遊びでPKを全員に蹴ってもらったのですが、そのほとんどを止めてしまったことを覚えています。その時、ブラジルでプロのゴールキーパーだった人が「お前は素質があるから本気でGKを目指すなら教えてやる」と言われたのですが、その時には二度とGKなんてやるもんかぐらい思っていたので「ぜったいやらない」とはっきりと断ってしまいました。後にも先にも本当にサッカーで認めてくれた人がいると思ったのはこの人だけだと思います。

 そして高校受験。サッカー好きの友達はサッカーが強い高校を選んでいきました。しかし僕はこのとき、行く高校によってサッカーのレベルが違うなんて考えもしませんでした。どの高校も、国立を目指してサッカーをしているものだと思っていました。