【フットサル文化の定着と確立にむけて】

●総合型地域スポーツクラブ設立に向けて2(2002/4/23)

 僕がサッカーをはじめたのは小学校3年生のときである。世の中は「キャプテン翼」ブームの全盛期。しかし僕ははじめ、サッカーにはまったく興味がなかった。それではなんで僕がサッカーを始めたか。僕には2つ下に弟がいる。当時その弟が親にサッカーをやりたいといい始めたらしくうちの母親は「半年でやめていいから一緒に行って面倒を見なさい」と僕に言った。この言葉が僕の人生を変えた。いまでも時々母親とこのときの話をするが母親自身はまったく覚えがないらしい。

 何気ない一言が人生を変えるものである。そして、小学生・中学生と特別サッカーが好きだったわけではない。僕が在籍していたスポーツ少年団は当時100人の団員がいて、とりわけ僕の学年は20人を超えていた。僕が少年団に入ったときには幼稚園からサッカーを始めていた友達も多く、1年ぐらい試合には出たことがなかった。

 4年生ぐらいになると、当時から身長だけは高く、練習のときからどんなことがあっても抜かれなかったので(もちろん抜かれそうになるとどんなことしてでも止めてました。)DFとして(当時はスイーパー)試合に出れるようになりました。

 僕が教わったコーチは後からOBとして一緒に子供達を教えるようになってから知ったのですが、大学生の時、釜本(邦茂・元日本代表ストライカー)さんとかとよく試合をしていたらしくかの有名なクラマー氏に教わったこともあるとか言っていました。[※デットマール・クラマー:東京・メキシコオリンピック時、ドイツから派遣されてきたサッカーのコーチ。日本サッカー界の歴史を変えた偉大な人である。]

 当時の僕の知っているサッカーは、DFは「とにかくボールをコーナーフラグにむかって蹴れ」しか言われませんでした。後は前のほうの6人が、勝手に点を取ってきてくれたので試合にはあまり負けなかったのですが、特別サッカーが面白いと思ったことはありませんでした。でも、とにかくみんなと一緒にいて、負けなかったのが楽しかった。

 小学生のとき、サッカーにプロがあることもワールドカップが何なのかもあまりよく知らなかった僕が子供達にサッカーを教えることになるとは、このときは夢にも思わなかった。